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2014年6月22日 - 2014年6月28日

2014年6月23日 (月)

円朝の怪談噺「真景累ケ淵」の紹介

所は下総国羽生村、いまの茨城県常総市羽生町にあたる、鬼怒川の下流にある寒村で、折しも礫が地にたたきつけるような豪雨のさなか、にわかに狂乱して、連れの娘ののど笛を鎌でかき切った男がふと我に返り、こときれた女の亡きがらを打ち捨て、ぶざまに逃げ惑っておりました。 男の名は深見新吉、娘はお久と申しまして、江戸の根津七軒町から手に手をとって出奔した駆け落ちの身。夫婦の契りを交わしたお久を亡きものにしたのには深いわけがございます。 江戸で新吉は、豊志賀という浄瑠璃の富本節の女師匠と一つ寝をして暮らす情夫でございました。 男女の仲とはいえ豊志賀は39歳、新吉は21歳。豊志賀は我が子のように若い新吉を溺愛しておりました。 ところがその年増の深情けがいつしか仇になり、新吉が、通いの弟子で18歳の生娘のお久に心変わりしそうだと嫉妬にもだえ苦しむうち、豊志賀の顔に腫れ物ができ、ふた目と見られぬ形相に変わり果てたまま、書き置きを残して息を引き取ってしまいました。 書き置きは「この後、女房を持っても7人までは取り殺す」という呪いの遺言。怨念に震える文字の残像が心の淵のよどみとなりました新吉は、お久の親類のいる羽生村へたどり着いたとたん、お久の顔が醜怪な豊志賀のそれへと変じて闇夜に浮かびあがったのにおののいて、拾った鎌でめった切りにしたという顛末でございます。 さて、お久殺しという陰惨な事件が起こりましたのが、「累ケ淵」と呼ばれる鬼怒川の川べりで、そこはいまなお、土手から水際まで竹やぶが生い茂って人を寄せつけようといたしません。強引に分け入れば、異界へたぐり寄せられるかのような胸騒ぎに襲われ、肌もあわ立ちます。

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「噺家の神様」と作者の三遊亭円朝をあがめて、因果応報の理を説く円朝の怪談噺をたゆまず高座にかけている桂歌丸師匠は「まず見習うべきは、舞台となる土地をことごとく訪ね歩いて、丹念に取材を尽くした創作の姿勢」と語っておられます。

円朝は羽生村にも赴いて地の人々に話を聞き、土地柄をつぶさに観察したようですが、この探訪には確たる意図がございました。 累ケ淵の由来となり、江戸の巷に広く流布した「累の伝説」の真相を知ろうとしたのですが、すさまじき女の怨霊の出現を発端とするこの伝説、悪霊払いの怪異な事件へと相成ります。

蒸し暑い日々が続きますと、このような怪談話が・・・怖い話には事欠かない時代の・・・いや、今日の世相も昔とそれほどの違いはないのかも知れません。

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